30歳を目前にして、
体力の衰えを感じている善三郎です。
…実は29あたりから、
「こんなはずでは」
が徐々に増えてきておりましてですね…
職場のかた2人から、
口裏合わせでもなんでもなく、全く違うタイミングで、
「人間な、29あたりで変化を感じる」
というのを聞いておりましたので、
ほんまにこの頃あかん、
あれは本当やったんやな…と、
今年30になる私と、29になる同僚とで話しておりました。 やべえ。
前置きはこのくらいにしておいて、
あれから10年が経ちました。
ブログを読み返したら、
平成23年3月11日は、どうも午前中に梅田へ出ていたようですね。
予備校関係かしらん…
ちゃんと記憶に残っているのは、
その日の14時ごろ、地元の郵便局に書留を出しに行った、ということです。
たしか…というかまぁ書留なんて大学宛にしか使ったことがありませんので、
おそらくこの時期ですから、
前期試験の成績開示かなんかを送ったんじゃないでしょうか。
それが14時39分。
郵便局から家へ戻り、
寝床の上で、あーつかれたなんて言っていたら、
急に眩暈がして、
(そんなに疲れてたかな…気持ちわる…)
と思ったそれが、地震でした。
こないだ車でラジオを聴いていて、
新潟のかたが「最初眩暈だと思った」とお便りを寄せていましたが、
ほんとう、
眩暈のような、ゆったりした揺れでした。
あのあと私は、
つながらない気象庁のHPへ、間隔をあけて訪れ続け、
潮位変動や余震の震源地などの情報収集をしていました。
仕事から帰ってきて、津波の映像を見て泣き出す母、
なんにも言えん雰囲気になったのを憶えています。
ブログ友達に仙台のかたもおりましたので、
コメントが書かれているのを見て大変安堵した、というのもありました。
3月には、初めて東京に行くなんていう計画も立てておりましたが、
家族が自粛モードになったため、すべて中止。
全国的にも自粛モードになる傾向があったようで、
一時期、「自粛ムード」というのが流行語になるのでは、
と思ったほどでした。
10年も経てば、記憶が薄れるのは当然です。
正直、去年あったことすら覚えちゃおりません。
ただ、じゃあ忘れていいのかと言えばそうではなくて、
兵庫県南部地震にしろ、
鳥取県西部地震にしろ(小学生の掃除時間で埃を頭にかぶった記憶が…)、
はたまた原爆や戦争のことにしろ、
大事なのは、何を憶えておくかってことだと思います。
記憶というと、風景を連想しがちで、
確かにそこにおったのであれば、思い起こすのもできると思うのですが、
新しい世代はそうもいかんわけで…
いくら言われても、
写真や動画を見せられても、
いまいち入ってこなかったりする。
じゃ、何を伝えていくべきなのか。
そこをしっかり考えておられる方々には、
ほんとうに頭が下がる思いです。