超・お久しぶりです。
一応生きてました、
というより、記事を書く暇がありません(汗
おじいさん骨折して入院しとるし……
時計は相変わらずやっていますが、
今年は暖かかったせいで、いつもよりたくさん分解しております。
そのなかでも衝撃的だったものがあったので、
衝動的に記事にしたくなって、写真を撮りました。
19型SEIKOSHA、7石です。
裏蓋には、「鐵道省 廣巳299号」と刻まれています。
昭和18年に運󠄁輸󠄁通󠄁信省と改称されているので、それ以前、
ケースも四つばねに玉ネジ、スクリュー蓋と戦前仕様、
機械も「7 JEWELS」の刻印があるので、戦前で間違いないのですが、
干支だけ金干支なので、干支だけ後年交換したのかなぁと思っています。
たたこの金干支も、表面の質感からして金干支出はじめの頃のものと考えています。
小秒針の60秒の上に、赤い点の跡がありました。
……ちゅーか、SEIKOSHA PRECISIONの印字位置が右にずれてる気がするのは、
私の気のせいでしょうか。
くすんで白んでしまっているので、コート・ド・ジュネーブがあっても眩しくない機械。
角穴車と丸穴車なのですが、わたしずっとこの手のもの
(車中央にやけにつるつるの金属板がかましてあるもの)は、
戦後も後期のものとばかり思っていたのですが、
某オークションを見るにつけ、最近考えが変わってきまして、
最初はこの2枚合わせの車で、
その次にダマスキン装飾のついた車、
次に、「SEIKOSHA XX PRESICION XX」と刻印のある車、
最後に、また戻って2枚合わせの車になったのかなと、今はそう片づけています。
ほんとのところどうなんだろ。
さて、19型 SEIKOSHAを分解したことのあるかたで、
この出来の悪い写真を舐めるように見たかたは、
違和感、
というか、存在するはずのない部品を見つけておられると思います。
念のため、ちょっと後年の機械ですが、本来の機械も載せておこうと思います ↓
……頑張って巻き上げヒゲ作ったんだから、緩急針が見苦しいとか言わないで(汗
さて、
何が違うでしょうか……
こいつです、こいつ……!
……って、タイトルに書いたんだった(爆
全く想定外のあれなので、分解している最中に気付いたのですが、
まさかの秒針規制機構です。
思わず変な声が出ました(汗
念のため調べたのですが、
秒針規制機構のついた同機(SECOND SETTING表記)は、昭和30年からの製造のようです。
洗浄後、組付け途中の写真です。
明らかに手作り感のある秒針規制用の部品。
四番車にもちゃんとダボが植えてあります。
……実はこの時計、一応稼働品で購入していたのですが、
竜頭を引くと、わりと短時間で機械が止まるので、
日ノ裏装置でも悪いのかなーなんて思っていたのですが……まさかの秒針規制機構。
部品の比較をします。
……なんでこんな並べ方をしたのか、という話ですが、
左に二本ある部品が秒針規制の部品で、左が本来の部品(昭和30年以降、SECOND SETTING)で、右が今回の部品です。
面取りは、先っぽ以外は結構適当……というかしてなさそうですし、
時計の部品にしては角ばった作りになっています。
で、
右側にある受け板ですが、右が同時期本来の板で、左が今回の板です。
秒針規制機構のある受け板も、写真に撮ればよかったかな……
今更ながら、地板等々の材質を知らないので、色の表現としてはちょっとあれなのですが、
左の部品を収めるための溝が真鍮色になっているので、
先の部品の状態も併せて、
いつかのタイミングで改造されたものとみて間違いないと思われます。
四番車のダボの位置が悪いのか、竜頭を戻しても動き始めないし……
しっかしですよ、
いつこの改造が施されたか、ですよ。
こんなの聞いたことも見たこともなかったので、一応は調べたのですが、
Web上には、それっぽい資料なんて皆無でした。
なんだか部品も発想もだいたい同じですし、
あまり夢のない話ですが、
現役ではなくなってから、改造されたのではないかなーと思っています。
んー……夢のない話、やなぁ。
さっきの比較用に撮った時計と並べて、裏蓋を撮影。
突貫記事なので調べも浅いのですが、
「廣巳」ってなんのことなのでしょうか……名前ではたくさん出てくるのですが、
地名絞りで調べても出てこんのです。
年代も随分アバウトですし、改造のこともよくわからないですし……
……謎の多い時計です。 もやもや。
一応生きてました、
というより、記事を書く暇がありません(汗
おじいさん骨折して入院しとるし……
時計は相変わらずやっていますが、
今年は暖かかったせいで、いつもよりたくさん分解しております。
そのなかでも衝撃的だったものがあったので、
衝動的に記事にしたくなって、写真を撮りました。
19型SEIKOSHA、7石です。
裏蓋には、「鐵道省 廣巳299号」と刻まれています。
昭和18年に運󠄁輸󠄁通󠄁信省と改称されているので、それ以前、
ケースも四つばねに玉ネジ、スクリュー蓋と戦前仕様、
機械も「7 JEWELS」の刻印があるので、戦前で間違いないのですが、
干支だけ金干支なので、干支だけ後年交換したのかなぁと思っています。
たたこの金干支も、表面の質感からして金干支出はじめの頃のものと考えています。
小秒針の60秒の上に、赤い点の跡がありました。
……ちゅーか、SEIKOSHA PRECISIONの印字位置が右にずれてる気がするのは、
私の気のせいでしょうか。
くすんで白んでしまっているので、コート・ド・ジュネーブがあっても眩しくない機械。
角穴車と丸穴車なのですが、わたしずっとこの手のもの
(車中央にやけにつるつるの金属板がかましてあるもの)は、
戦後も後期のものとばかり思っていたのですが、
某オークションを見るにつけ、最近考えが変わってきまして、
最初はこの2枚合わせの車で、
その次にダマスキン装飾のついた車、
次に、「SEIKOSHA XX PRESICION XX」と刻印のある車、
最後に、また戻って2枚合わせの車になったのかなと、今はそう片づけています。
ほんとのところどうなんだろ。
さて、19型 SEIKOSHAを分解したことのあるかたで、
この出来の悪い写真を舐めるように見たかたは、
違和感、
というか、存在するはずのない部品を見つけておられると思います。
念のため、ちょっと後年の機械ですが、本来の機械も載せておこうと思います ↓
……頑張って巻き上げヒゲ作ったんだから、緩急針が見苦しいとか言わないで(汗
さて、
何が違うでしょうか……
こいつです、こいつ……!
……って、タイトルに書いたんだった(爆
全く想定外のあれなので、分解している最中に気付いたのですが、
まさかの秒針規制機構です。
思わず変な声が出ました(汗
念のため調べたのですが、
秒針規制機構のついた同機(SECOND SETTING表記)は、昭和30年からの製造のようです。
洗浄後、組付け途中の写真です。
明らかに手作り感のある秒針規制用の部品。
四番車にもちゃんとダボが植えてあります。
……実はこの時計、一応稼働品で購入していたのですが、
竜頭を引くと、わりと短時間で機械が止まるので、
日ノ裏装置でも悪いのかなーなんて思っていたのですが……まさかの秒針規制機構。
部品の比較をします。
……なんでこんな並べ方をしたのか、という話ですが、
左に二本ある部品が秒針規制の部品で、左が本来の部品(昭和30年以降、SECOND SETTING)で、右が今回の部品です。
面取りは、先っぽ以外は結構適当……というかしてなさそうですし、
時計の部品にしては角ばった作りになっています。
で、
右側にある受け板ですが、右が同時期本来の板で、左が今回の板です。
秒針規制機構のある受け板も、写真に撮ればよかったかな……
今更ながら、地板等々の材質を知らないので、色の表現としてはちょっとあれなのですが、
左の部品を収めるための溝が真鍮色になっているので、
先の部品の状態も併せて、
いつかのタイミングで改造されたものとみて間違いないと思われます。
四番車のダボの位置が悪いのか、竜頭を戻しても動き始めないし……
しっかしですよ、
いつこの改造が施されたか、ですよ。
こんなの聞いたことも見たこともなかったので、一応は調べたのですが、
Web上には、それっぽい資料なんて皆無でした。
なんだか部品も発想もだいたい同じですし、
あまり夢のない話ですが、
現役ではなくなってから、改造されたのではないかなーと思っています。
んー……夢のない話、やなぁ。
さっきの比較用に撮った時計と並べて、裏蓋を撮影。
突貫記事なので調べも浅いのですが、
「廣巳」ってなんのことなのでしょうか……名前ではたくさん出てくるのですが、
地名絞りで調べても出てこんのです。
年代も随分アバウトですし、改造のこともよくわからないですし……
……謎の多い時計です。 もやもや。